まえのめり/めも

east of edenのオープンマイクの弾き語りを
手持ちのノートPCでustream生配信しつつ3曲オリジナルを歌った。
妙に舞い上がって変にイキがっていたかもしれない。
終わったあと録画を確認したら、演奏前の三分しか残っていなかった。
ちゃんと最後まで配信できていたのかわからない。
少ない視聴者の方が教えてくれた話では音が聞き取れずだいぶ難があったようだ。
いきなりやると必ず失敗するとあらためて思う。
勢いみたいなものだけは、認めてくれたのは確かで、
みんな優しい。最後にしゃべりながらパンディロをなんとなく叩く。
その後顔見知りの人達と話をしていたら演奏中のハヤサカ氏から「しえろ、タンバリン叩け!」と呼ばれ
彼の弾き語りにパンディロのリズムをつけさせてもらう。
それなりに今日は暑く、一日車のトランクに入れていたためが、革が少し伸びてベコベコになっていたので、
音的には決していい状態ではなかったし、
まだまだ叩き方が下手なので、ちょっと心苦しいところもあったが、
まいいや、もうやってしまえ、という感じだった。
カウンターで某jaxaで仕事をしてる研究者のかたが、色々僕の詩や曲、演奏について
すごく分析的に見解を話してくれて、
それがとても素直に納得できるものだったのが奇跡のように感じられたけど、
そういう人が近くにいるという事の運の良さなのだと思う。
主に世界のレコーダーという曲の完成度を更に上げるという事についてで
この曲では声が低いから、
高い音がもっと欲しい。弾き方りでそれをするとしたらハイポジションや、
高音弦のみカポで残りは解放弦やオープンチューニングでの和音の構成をする必要があるということや
詩を前面に出すとしたら、たとえば語呂やメタファーや言葉自体のリズム感などに意識的になることで
繰り返し聞く事に耐えうるものにできるのではないか
と言った事をスピッツなどを例にはなしてくれた。
このスタイルは非常にオリジナリティがあり歌は高音がすばらしい、世界の....は歌が低音で、僕は
それが少し今日は弱く、そこを上手くするには息の深さが必要になる。
低音の息の深さは、たとえば
ジョアン・ジルベルトなどのボサノバをカヴァーしてみる事など有効かもしれないとも。
フラットに見ると新曲の「アボガド」がすごくよかったが、キャッチー。
可能性を感じるのはむしろ突出した個性がある「世界の....」だと。
ナオキさんにも半ば強引に率直な感想批評を求めたら、快く応じてくれて
今回のMCは声は割によく聞こえていたが、早すぎて、聞き手に反応する暇がなかった。
そして、言葉が難しく、「?」となってしまう場面が多いので、
子どもにも分かるくらいのわかりやすい話し方が大事であり基本だ、というような助言。
その通りだと思う。基本的な事が全然分かっていないのだと自分で思う。
すぐにでも実践すべきないようだとわかる。これも見事に僕に必要な事をズバリだった。
そのあとokayanさんと話し込む。
「世界のレコーダー」はその突出性的な部分で可能性がある。
歌が非常によく、とくにボガンボス「トンネル抜けて」のような曲の時そのよさが際立つのでそういう曲も重要で、その2つを柱にするとひとつよく、それだけだでなく色々な曲の流れの要所にライブでは持ってくるとすごく有効かもしれないよ、いうことを言われて、、なるほどとなっとくできた、というか、薄々自分でも分かっているのだがぼんやりとしたものを見事に言ってもらえるという事のすごさ。これも本当にありがたかった。
イベントの話になり、自分がしようとしている事の決定的なミスがはっきり分かり、それを話したら2人とも笑った。実際、笑うくらいひどい事を考えていたのだと思う。つまりそれをやると、すぐに不満がポンポンでて、次はもうないだろう、というような事だ。
おかげでここ数日前のめり過ぎるなぁと少し冷静になることができた。
最近色々な事を焦りすぎて見えているものがいかに歪んでいたか、
という事を少し落ち着いそれなりに俯瞰する事ができた。
何かを自分がしようとする時、必ずなにかとの差別化とか値踏みをする対象にされる事が常にあると思う。
というかどこへ行ってもそう。だけどそれは信用できないものだ。
そしてそういうさびた扉を僕はおもっきり蹴破ってやりたい。信用すべきは自分だ。
どんな事が何かを見失いかけていた自分を取り戻すきっかけになるか、という事を考える。
沢山のゴミがういているけど、そのなかのどこかにそれは確かにあったりする。
そしてその物事や人達に、心から感謝。