コンクール用の音楽

 みんな褒められようとして演奏している。つまり様々なコンクールに入賞することを目標に勉強しだしたから、人に見せようということになってしまって、音楽の楽しさ、音楽の含蓄といったようなものがなくなってしまった。(中略)だからちっともおもしろくない。
 今のようにコンクールで音楽を競う方向に行く限りは、前述の子が絵を褒められる為に描くようになったのと同じで、どこが褒められたのか、何がいいのか悪いのかが判らないまま、あるとき褒められたらその褒められた傾向でばかりやっている。どこにも進歩がない。何を褒められたか判らないのに、もっと褒められようとしてそういう傾向ばかりどぎつく伸ばしていくような行為は、子供でも大人でもあまり立派とは言えない。褒められたい要求が裡から出ているとしても、それを他人の目によって決めようとするところにおかしいものがある。
 その子供も褒められた為に去勢されてしまった。だから褒めることは難しいと言うのである。褒めるときは的をピタッと射て「こことここが良い」と言わなくてはならない。しかし叱言はその急所をやや外して、あとになって気がつく....という位の含みをもたせるのが良いのである。

                                           野口晴哉『叱り方 褒め方』より